丹波杜氏の伝統継承
丹波杜氏には、300年以上の歴史があります。かつて、丹波篠山の農民は、農業だけでは生活が厳しいため、冬の間の出稼ぎということで酒造りに各地へ行っていました。昔の丹波篠山の冬は雪も多く、農業をするには大変厳しい時代だったそうです。 また、藩からの年貢米の要望がきつかったため酒造りをして生計をたてていました。酒造りへは、一番近いところで伊丹まで行っていました。
出稼ぎで酒造りをしていた当時、丹波杜氏の造ったお酒を就労先の蔵元さんが、良いお酒ができたという印象があり、丹波杜氏は非常によいお酒をつくる。また、「酒もつくるし身もつくる(志をもった人をつくる)」と言われました。これは、丹波杜氏は、技術もさることながら、勤勉であり、また造り手を育てるのにも長けているということを表しています。
このように灘や伊丹などで酒造りをして活躍していたわけですが、その当時の篠山藩主からは「酒造りにいくから年貢米を収めるのが少ないのだ」と言われ、藩から出稼ぎを禁止されました。それでは農民は、生活が大変厳しいということで、酒造りをしている若者が訴訟を起こして藩にたてつきました。そして、たてついた方は牢屋に入ったと聞いていますが、その方が「市原清兵衛」さんです。
市原清兵衛さんは、牢屋に入って出てきてから、年貢米の軽減などの訴訟を起こすということで、藩に申し入れを出ようとしたときに、そういう訴訟を起こしてもらったら困るということで刺客が出て、市原清兵衛さんは亡くなられたと聞いています。このように、丹波杜氏には、悲しい歴史や各地の酒造りに邁進した歴史など、大変長い歴史があります。
毎年秋には、丹波杜氏が丹波杜氏酒造記念館に集まり、京都の松尾大社から宮司さんを呼んで杜氏の前でお祓いしてもらい、その後、御神酒種々をお供えして、「今年もよいお酒ができますように」また、「蔵人が安全に働けますように」と義民市原清兵衛君之碑の前で祈願します。それを1年1年欠かすことなく今日の今日まで続けてきたのです。